News Release

脳内の化学反応からひもとく人類の進化の謎

酵素のわずかな変異が、現生人類とネアンデルタール人、デニソワ人の生化学的・行動的変化をもたらしたことを明らかにしました。

Peer-Reviewed Publication

Okinawa Institute of Science and Technology (OIST) Graduate University

ADSL酵素の機能とタンパク質の配列

image: Aの概略図は、ADSLがプリン生合成で反応を触媒する位置を示している。研究では、酵素活性が低下すると濃度が上昇する基質SAICArおよびS-Ado(赤色で表示)を測定することでADSLの機能を評価した。Bの図は、現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人、チンパンジー、マウス間のアミノ酸配列の違いを示した。429番目の変化は、現生人類と古代人類との唯一の違いとなっている。マウスの428番目の変化(赤色で表示)は、ADSLの機能に影響を与えないことが確認された。 view more 

Credit: ジュ他(2025年)

私たち現生人類がこれほどまでに繫栄できたのは、約50万年前にネアンデルタール人やデニソワ人の系統から分岐した後、脳内で起こる化学的な働きに起こったごくわずかな変化が関係していた可能性があることが、新たな研究で報告されました。

ネアンデルタール人やデニソワ人と、現生人類(ホモ・サピエンス)を区別するこれらのごくわずかな変化のうちの2つは、アデニルコハク酸リアーゼ (ADSL)という酵素の遺伝子発現と安定性に影響を与えています。この酵素は、DNAやRNA、その他の重要な生体分子の基本的な構成要素であるプリン生合成に関わっています。今回、沖縄科学技術大学院大学(OIST)とマックス・プランク進化人類学研究所の研究チームが科学誌『PNAS』に発表した研究では、これらの変化が私たち現生人類の行動において重要な役割を果たしている可能性が示され、人類の起源と本質を解明するための新たな手がかりが明らかになりました。「この研究を通じて、現生人類と古代人類を区別する分子変化の機能的な影響について手掛かりを得ることができました」と、筆頭著者でOISTヒト進化ゲノミクスユニットに所属するシァンチュン・ジュ博士は語ります。

ADSL酵素は、484個のアミノ酸が鎖状に連なって構成されていますが、現生人類型と古代人類型のADSL酵素の違いは、たった一つのアミノ酸です。429番目の位置にあるアラニンが、現生人類型ではバリンに置き換わっています。試験管内の実験では、この変化によって、ADSLのタンパク質の安定性が低下することが確認されています。マウスを使った実験では、この変化がADSLが作用する基質の濃度を複数の臓器、特に脳で上昇することを明らかにしました。

ヒトにおいてADSL遺伝子の欠損が精神運動発達の遅れや認知障害を引き起こすことが知られていることから、研究チームはこのアミノ酸の置換が、行動に与える可能性のある影響を調べました。マウスを用いた実験で、視覚や音の合図の後に水が与えられる課題を行ったところ、アミノ酸の置換を持つ雌のマウスは、同じ親から生まれた別のマウスよりも、喉が渇いている際により頻繁に水を得ていたことがわかりました。このことは、酵素の働きが弱まることで、限られた資源をめぐる競争において有利に働いた可能性を示唆しています。

このアミノ酸置換はネアンデルタール人やデニソワ人には見られず、ほぼすべての現生人類にに見られることから、この変化は、現生人類がネアンデルタール人やデニソワ人の系統と分岐した後、アフリカを離れる前に現れたと考えられます。「マウスと人間では神経回路に大きな違いがあるため、これらの結果をそのままヒトに当てはめるのは早計ですが、このアミノ酸の置換によって、私たちは古代人と比べて、特定のタスクにおいて進化的な優位性がもたらされた可能性があります」とジュ博士は述べています。

研究チームはさらに、現代人におけるADSLの働きに影響を与える可能性のある、他の遺伝的変化を調べました。その結果、ADSL遺伝子の非コード領域に存在する遺伝的変異の一群を特定し、それらが現代人のゲノムの少なくとも97%に含まれていることが明らかになりました。ネアンデルタール人、デニソワ人、現代のアフリカ人、ヨーロッパ人、東アジア人の遺伝配列を統計解析した結果、これらの変異が現代人の間で有利に働き、自然選択によって選ばれてきたことを示す強い証拠が得られました。

興味深いことに、研究チームはこの非コード領域における変異が、アミノ酸変化によって低下したADSLの機能を補うのではなく、ADSLのRNA発現をさらに低下させ、酵素の働きを一層弱めていることを発見しました。特に脳でその傾向が顕著です。「この酵素は、タンパク質の安定性を変える変異と、発現量を下げる変異という、2段階の選択を経て機能が低下しました。ADSL欠損症にならない程度に抑えつつも、マウスで見られたような効果をもたらす程度まで酵素の働きを下げる進化的圧力があったと考えられます」と、同研究ユニットの共著者、キンユ・リ博士は説明します。

「今回の研究結果は、多くの新たな疑問を投げかけています」と、OIST知覚と行動の神経科学ユニットの福永泉美准教授は語ります。「例えば、なぜ雌のマウスだけが競争上の優位性を獲得したのかは、まだ明らかではありません。行動は非常に複雑で、水を効率よく飲むためには、感覚情報の処理、報酬につながる行動の学習、社会的なやり取りの理解、運動の計画など、さまざまなプロセスが関与します。これらは複数の脳領域にまたがっている可能性があり、ADSLが行動に果たす役割を理解するには、さらなる研究が必要です。」

OISTヒト進化ゲノミクスユニットを率いるスバンテ・ペーボ教授は次のようにまとめます。「現代人の祖先である古代人において進化の影響を受けた酵素はごくわずかしかありませんが、ADSLはその一つです。私たちは、こうした変化の一部がもたらす影響を理解し始めており、それによって過去50万年にわたる人類の進化の中で、私たちの代謝がどのように変化してきたのかを少しずつ解き明かしています。次のステップは、これらの変化が組み合わさることでどのような影響をもたらすのかを調べることです。」


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