image: (A) 糖鎖のガラクトース残基に由来する構造変化が、Fc分子全体にどのように伝播するかを示している。 (B) ガラクトース残基(黄色の丸)は、糖鎖の動きを制限する「錨」として、またFc領域全体の動きを抑制する「楔」として働き、エフェクター分子との相互作用を促進する。 view more
Credit: 谷中冴子、加藤晃一
発表のポイント
私たちの体には、病原体から身を守るための免疫システムが備わっています。その中心的な役割を担うのが「免疫グロブリンG(IgG)」注1) と呼ばれる抗体です。IgGは、特定の抗原を認識して結合するだけでなく、Fc受容体や補体といったエフェクター分子との相互作用を通じて、様々な免疫応答を誘導します。本研究では、IgGのFc領域 注2) に結合した「糖鎖」の修飾が、IgGの動的な構造変化を制御し、その結果として免疫機能が調節されるメカニズムを、計算科学と実験科学を融合したアプローチで明らかにしました。特に、本研究では、糖鎖修飾による影響が、あたかも私達の体の中に張り巡らされた経絡のように、分子レベルで伝播していく「分子経絡」注3) の重要性に着目しました。
研究の背景
治療用抗体は、がんや自己免疫疾患など、さまざまな疾患の治療に用いられています。抗体の効果は、標的抗原への結合だけでなく、Fc領域を介したエフェクター機能 注4) の発揮によっても大きく左右されます。Fc領域の糖鎖修飾 注5) は、抗体のエフェクター機能を調節する重要な因子であり、そのメカニズム解明は、より効果的な抗体医薬品の開発につながると考えられています。
本研究の手法と成果
研究グループは、遺伝子工学的手法と酵素反応を組み合わせることで、糖鎖構造が異なるIgG1-Fcを調製しました。これらについて、安定同位体標識NMR分光法 注6) を用いてFc領域の動的構造を解析するとともに、分子動力学シミュレーション 注7) によって糖鎖修飾がFc領域のコンフォメーション変化に与える影響を評価しました。また、動的ネットワーク解析を用いて、「分子経絡」を同定しました。NMR分光法と分子動力学シミュレーションの結果から、ガラクトース 注8) 残基は糖鎖の動きを止める「錨」およびFc領域全体の動きを抑える「楔」としてはたらき、フコース 注9) 除去は特定のFc受容体との結合に関与するアミノ酸残基の動態を変化させることが明らかになりました。これらの結果は、糖鎖修飾がIgGのFc領域の動的構造を制御し、エフェクター機能を調節するメカニズムを原子レベルで理解する上で重要な知見となります。特に、「分子経絡」の存在は、糖鎖修飾の効果がFc領域全体に伝播する様子を示唆しています。
成果の意義および今後の展開
本研究成果は、治療用抗体の開発において、Fc領域の糖鎖修飾を最適化するための合理的な設計基盤を提供します。今後は、糖鎖修飾と抗体の構造・機能相関に関するさらなる研究を進めることで、また「分子経絡」の操作という新たな視点を取り入れることで、より効果的かつ安全な抗体医薬品の開発に貢献できると期待されます。
用語解説
注1)免疫グロブリンG(IgG): 抗体の一種で、体内の異物を認識し、排除する役割を担う。
注2)Fc領域: IgGの定常領域であり、Fc受容体や補体などのエフェクター分子との相互作用に関与する。
注3)分子経絡: 糖鎖修飾による構造変化がFcの機能部位に伝播する経路を指し、動的ネットワーク解析により同定された構造的連関を人体の経絡になぞらえて表現している。
注4)エフェクター機能: 抗体とエフェクター分子との相互作用で発動する免疫機能
注5)糖鎖修飾: タンパク質に糖鎖が付加される現象で、タンパク質の構造や機能に影響を与える。
注6)NMR分光法: 物質の分子構造を解析する手法の一つ。
注7)分子動力学シミュレーション: 分子の運動を計算機上でシミュレーションする手法。
注8)ガラクトース: 糖の一種で、IgGの糖鎖の末端に付加されることがある。
注9)フコース: 糖の一種で、IgGの糖鎖のコア部分に付加されている。
Journal
Proceedings of the National Academy of Sciences
Method of Research
Computational simulation/modeling
Subject of Research
Cells
Article Title
Exploring Glycoform-Dependent Dynamic Modulations in Human Immunoglobulin G via Computational and Experimental Approaches
Article Publication Date
5-Aug-2025