News Release

磁石の表面上で孤立した量子スピンの作製に成功~磁気トンネル接合MgO/Feを用いた量子ビット開発へ~

Researchers successfully realized a stable, isolated quantum spin on an insulating thin film laid over a magnetic surface

Peer-Reviewed Publication

Chiba University

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The researchers successfully realized a stable isolated spin state on an insulating MgO thin film, laid over a ferromagnetic Fe(001) substrate, marking a significant achievement. This shows that qubits can be developed through conventional thin-film techniques.

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Credit: Dr. Toyo Kazu Yamada from Chiba University, Japan https://pubs.rsc.org/en/content/articlelanding/2025/nh/d5nh00192g

■研究の背景
 現在、私たちが日常的に利用している「情報」は、すべてデータセンター内にある、目には見えないほど小さな「磁石」によって記録・保存されています。このような磁気情報素子は「スピントロニクス」と呼ばれる技術によって実現されています。
 スピントロニクス素子は、鉄などの磁性材料を真空中で加熱・蒸発させ、基板の表面に極めて薄い膜として成膜することで作製されます。すでに確立されたこの技術を応用して、次世代の情報処理を担う量子コンピューターや、超高感度な量子センサーに不可欠な「量子ビット(qubit)」の開発が可能になると考えています。これは、量子デバイスを社会に広く普及させるうえで重要な一歩です。

■研究の成果
 本研究では、スピントロニクス分野ですでに磁気センサー材料として広く使われている酸化マグネシウムと鉄を組み合わせた「MgO/Fe」系の材料に注目しました。この材料で量子ビットを実現できれば、量子技術の開発に大きな進展をもたらすと考えたからです。これまでの量子ビット研究では、金(Au)、銀(Ag)、銅(Cu)といった貴金属表面が主に用いられてきました。なぜなら、これらの貴金属の表面上では量子ビットとの結びつきが非常に弱く、量子スピン(量子ビットの状態)が保持されやすいと考えられていたためです。しかし、この手法には根本的な限界があります。貴金属は導電性を持つため、自由に動く電子「伝導電子」が豊富に存在しており、これらの電子が量子ビットに衝突すると、一定の確率でスピンが反転してしまうため、量子ビットとしての機能が失われてしまいます。つまり、貴金属基板は量子スピンの安定な保持には適していないのです。
 そこで研究チームは、絶縁体である酸化マグネシウム(MgO)に着目しました。絶縁体は貴金属とは異なり伝導電子が存在しないため、量子スピンが外部からの影響を受けにくく、より安定に保たれます。中でも、スピントロニクス分野で広く利用されているMgO/Fe(001)構造に注目しました(図1参照)。
 まず、真空中で鉄基板の表面を清浄化し、その上に原子一層分の酸素をコーティングしました。その上にMgO膜を成膜することで、原子レベルで平坦なMgO表面を実現しました。約3年の試行錯誤を経てこの表面に、量子ビットの候補となる量子磁石分子(銅フタロシアニン(CuPc))を吸着させることに成功しました。銅は通常の状態では磁石ではありませんが、分子内で銅イオン(Cu2+)として存在することで、電子の”スピン”という量子力学的な性質が生まれます。このスピンは、「上向き」か「下向き」の2つの状態を取ることができ、その単純で安定した構造が、量子ビットとして扱いやすいとされています。
 この分子を、原子分解能を持つSTMを用いて観察しました。STMでは、探針を試料に近づけることで表面形状を画像化できるだけでなく、各原子位置における電子状態の計測も可能です。図2aは、MgO表面上に吸着した1個のCuPc分子のSTM像です。分子は四葉のクローバーのような形状に見えます。次に、この分子上で行った電子分光の結果が図2bです。MgOは絶縁体であるため、電子が出入りしやすいエネルギー帯付近には電子がほとんど存在せず、エネルギーの隙間(ギャップ)が生じています。したがって、縦軸(微分伝導dI/dV、試料の電子状態密度に比例)の値はゼロに近くなります。ところが、このギャップ領域を詳細に拡大してみると、ちょうど0 eVの位置に小さなピークが現れていることが分かりました(図2b下部)。このピークは「ゼロバイアスピーク(ZBP)」と呼ばれ、これまでの研究により、分子中の銅イオンの“スピン”と呼ばれる性質がまだ消えずに保たれていることを示す特徴とされています。
 注目すべき点は、図1の緑矢印に沿って分光を計測したところ、量子スピンの存在を示すZBPの信号(分光曲線内の赤線のピーク)は、分子の中だけでなく、まるで“染み出す”ように絶縁体のMgO表面全体にも広がって観測された点です。これは、電子の流れがほとんどない絶縁体だからこそ起きた現象です。金属表面では電子がZBPを“かき消して”しまいますが、MgOのような絶縁体では、そのような妨げがないため、ZBPが広く安定して広がることを初めて確認できました。
 この発見は、MgO/Fe(001)という既存のスピントロニクス材料系でも、量子ビットとして機能する量子磁石が安定化可能であることを示唆しており、非常に重要な成果です。

■今後の展望
 本研究は、強磁性基板上で量子スピン状態を安定に制御する新たなアプローチを提示するものです。すでに実用化されているトンネル磁気抵抗センサー(TMR)注2)にも用いられているMgO/Fe(001)系が、量子スピンを保持・操作するための新しいプラットフォームとして活用される可能性を示しました。今後は、この構造を用いた量子センサーや量子コンピューターへの応用に加え、単一の磁性原子におけるスピン遷移を利用した「単原子触媒」の開発といった、量子スピン工学の多方面への展開が期待されます。

■用語解説
注1)走査トンネル顕微鏡 (STM):
原子レベルまで尖らせた探針で試料表面をなぞるようにすることで、物質表面を原子分解能で観察できる顕微鏡。原子より小さい1pm(ピコメートル=10-12メートル)の精度で、物質の電子状態を計測できる。

注2)トンネル磁気抵抗センサー(TMR):Fe/MgO/Feのように絶縁膜を二枚の強磁性薄膜で挟み電気を流す仕組みで、絶縁膜であっても量子力学の“トンネル効果”で電気が流れる。二枚の磁石の向きが平行であると電気がよく流れ、反平行で流れにくくなっており、磁石の向きだけで電流を流したり止めたりできる。毎日使うスマートフォン情報は全て、データセンターの磁気センサーで読み取りされ情報社会を支えている。

 


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