生命の進化の歴史をひも解くうえで、ゲノム情報は重要な手掛かりとなります。特定の遺伝子配列や変異の有無を調べることで、種が分岐した順序を推定するヒントが得られます。しかし、数億年前の進化イベントを正確に描き出すのは、最先端の手法をもってしても容易ではありません。この難題に対し、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームは、「動く遺伝子」とも呼ばれるトランスポゾン(転移因子)を活用してシロアリの系統樹を再構築し、太古の進化の謎を解く新たな手法を示しました。この成果は、科学誌『Current Biology』に掲載されました。
「系統樹は、生物間の系譜を示すもので、進化生物学の根幹をなす重要な概念です。現代の生物多様性がどのように生まれたのかを理解し、生物多様性の保全戦略を立てる上でも欠かせません」と語るのは、本研究の著者で、OIST進化ゲノミクスユニットを率いるトマ・ブーギニョン教授です。「しかし、進化の長い歴史をたどろうとすると、いくつもの課題が立ちはだかります。種の進化的なつながりを正確に推定するための系統的シグナルが弱い場合も多く、短期間に多くの種へと分岐する『適応放散』が起こると、種の出現順序を特定するのが難しくなります。私たちの新たな手法は、こうした難題に挑む研究者にとって、有力な手段となるでしょう。」
なぜ遺伝子は「動く」のか? トランスポゾン(転移因子) とは?
「転移因子」または「トランスポゾン」と呼ばれる特定のDNA配列は、ゲノム上のある場所から別の場所へ移動することができ、突然変異を引き起こして遺伝的多様性を高める働きがあります。トランスポゾンは、真核生物(動物、植物、菌類など、細胞内でゲノムが核膜に包まれている生物)のゲノムに広く存在しており、実際、ヒトのゲノムでは最大で約50%を占めるとも言われ、他の真核生物ではさらに高い割合を占める場合もあります。
トランスポゾンはゲノム中に豊富に存在するにもかかわらず、系統樹の構築においては、これまで他のDNAマーカー配列ほど注目されてきませんでした。本研究の筆頭著者でOIST博士課程学生のリウ・ツオンさんは次のように説明します。「最近のシーケンシング技術やバイオインフォマティクス・アノテーションツールの進歩により、ゲノムレベルでのトランスポゾンを評価することができるようになりました。従来の系統学では、生命維持に不可欠なタンパク質をコードする遺伝子など、異なる種に共通して保存されている遺伝子に焦点が当てられてきました。これらの遺伝子は変異の速度が遅いため、長い時間スケールにおける進化の歴史を調べるのに適しています。」
しかし、こうした変化の遅さには欠点もあります。遺伝子の保存領域は変異が遅いがあまり、適応放散のように短期間で急速に種が多様化した進化的イベントが遺伝的変異として反映されません。このような場合、ゲノム全体で活発に移動するトランスポゾンが、種の分岐に関する有益な情報をもたらす可能性があります。
新たな系統樹の構築法
研究チームは、トランスポゾンの有用性を検証するため、シロアリ45種とゴキブリ2種のゲノムを解読しました。昆虫系統の異なる科や亜科を代表する多様な種を選び、詳細な解析を行った結果、種をまたいで約3万8000のトランスポゾンファミリーを同定しました。
研究チームは、これら47種それぞれについて、各トランスポゾンの有無を分析することで系統樹を構築しました。そして、その系統樹上に各種が共通祖先から分岐した時期をマッピングし、過去に発表されたシロアリの系統樹と比較しました。「トランスポゾンに基づく系統関係の推定は、タンパク質をコードする数千もの遺伝配列から構築された系統樹と同等の精度を達成しました」と、ブーギニョン教授は述べています。
DNA劣化という課題の克服
本研究では比較的豊富なゲノム情報を用いましたが、この手法はデータが限られている場合にも適用可能です。これにより歴史的な博物館コレクションなどの古い標本を用いた研究にも新たな可能性がひろがります。
リウさんは次のように説明します。「質の良いゲノムデータを取得することは往々にして困難です。DNAは時間の経過とともに自然に劣化します。特に生物多様性のホットスポットである高温多湿の気候では、その劣化の速度がさらに速まります。この劣化は、我々が標本を採取してからシーケンシングを行うまでのわずかな期間であっても問題となる場合があるため、古いコレクションに含まれる歴史的な標本を扱う際には、特に深刻な課題となります。」
断片化が進んだ配列データでも機能する手法は、進化学的研究や過去も含めた生物多様性の解明のために有用な情報を抽出できるという点で重要です。トランスポゾンは非常に短い配列であるため、断片化したDNAサンプルからでも回収することができます。
シロアリ研究のその先へ
研究チームは今後もシロアリの研究を継続し、ゲノムデータを活用して、生理機能や社会構造、食性の進化に関する新たな知見の解明を進めていきます。一方で、本研究がより広範な分野の研究者に刺激を与え、動物界全体における生物多様性と進化の理解を深める契機となることも期待しています。
「私たちの手法は、既存の系統解析の技術を補完するものです。トランスポゾンに着目することが、進化における新たな知見の創出や生物の進化の歴史に残る長年の謎を解き明かす一助となることを願っています」と、ブーギニョン教授は期待を示しました。
Journal
Current Biology
Method of Research
Computational simulation/modeling
Article Title
Robust termite phylogenies built using transposable element composition and insertion events
Article Publication Date
5-Nov-2025
COI Statement
The authors declare no competing interests.