News Release

古人骨によって農業の起源に関する見解が変わる

Peer-Reviewed Publication

American Association for the Advancement of Science (AAAS)

新しい分析の結果、いくつかの狩猟採集集団が新石器時代に「肥沃な三日月地帯」でそれぞれ独自に農耕を始め、その後、農耕が世界各地に広まったことが示唆された。農耕の発祥地に住んでいた単一の集団が起源となり、狩猟採集民から農耕民への移行に伴って、文化や遺伝子が広まったのか、それとも複数の異なる農耕民グループが、おそらく複数の植物をその土地で栽培できるようにすることで、この技術の拡散に関与したのかについては議論がなされているが、今回の研究結果はこの議論に影響を与えるものである。現在、古代DNA研究から相次いで洞察が得られているにもかかわらず、農耕の発祥地である肥沃な三日月地帯における農耕集団の起源は、依然として謎のままである。この地域に新石器時代に住んでいた集団は単一民族だったというのが科学者の一般的な認識だが、この仮説を疑っている科学者もいる。今回、Farnaz Broushakiらはさらなる洞察を得るために、イランのザグロス地域(農耕の最古の痕跡がこれまでいくつも見つかっている場所)で発見された、新石器時代初期の人類のものとされる4体の人骨について、DNA配列を決定した。遺伝分析の結果、これまでに同定されたことのない集団であることが判明した。この集団は、ヨーロッパ農耕民の祖先だとされることの多い、新石器時代の古代アナトリア人とは非常に異なっていた。つまり、ザグロスの農耕民は、遺伝子配列が今日のパキスタン人やアフガニスタン人によく似ていることから、ヨーロッパ初の農耕民の祖先ではなかったことが示唆された。むしろ、ゲノムを見ると、彼らは4万年以上前に新石器時代の古代アナトリア人から分岐して、別個に農業を広めたようだと、著者らは述べている。この研究結果によって、単一の農耕民グループではなく、複数の集団が起源となって、農耕文化は農耕の中心地域からヨーロッパやアフリカやアジアへ広まった、という仮説が裏付けられた。

###


Disclaimer: AAAS and EurekAlert! are not responsible for the accuracy of news releases posted to EurekAlert! by contributing institutions or for the use of any information through the EurekAlert system.