貴金属や宝石が生む美しい輝きや色づき透き通る光の道筋は,私たちに豊かな質感を与えます.これは私たちに物体の表面状態や材質を推定する「質感認知」の能力が備わっているためです.私たちは光が物体表面で複雑に反射・透過することに価値を感じ,太古から現代まで常に人類全体で,良質な質感を追求してきました.こうした背景から,脳内の質感認知プロセスの解明が神経科学,心理学,工学といったさまざまな学問領域で積極的に進められています.
鏡や研磨された金属のように光がその物体表面で鏡面反射する「反射材質」と,ガラスや氷のように光がその物体を透過・屈折する「透過材質」は,それらの物体表面に映る画像が,物体の周りに何があるかによって大きく複雑に変化します.そのため想定される状況は数え切れないほど存在し,ヒトがどのように鏡とガラスを見分けているか,未だに明らかになっていませんでした.
日常生活の中でそれらの観察対象の物体と,観察者である私たちの両者が同時に静止していることは少ないために,脳に与えられる視覚情報は潜在的に運動情報を含むと考えられます.例えば,物体が回転している際に,鏡(反射材質)では手前の運動情報しか私たちは知覚できませんが,ガラス(透過材質)ではその物体が透明であるがゆえに,物体の手前に加えて奥側にある逆方向の運動情報も同時に知覚することができます(図1A,動画1).
そこで研究チームは,想定される膨大な情報から,各材質の運動情報に基づいた手がかりで,それらの材質を見分けているのではないかと着想を得ました.運動する反射材質と透過材質の物体をヒトがどの程度見分けられるか,どの程度知覚するかを実験的に計測し,そのデータをもとにして反射・透過材質を見分けるモデルの開発および検証を行いました(図1B).本モデルはヒトの知覚とよく相関しており,ヒトの材質知覚を精度よく予測できることを示しました.
「私たちは身の回りにある金属,ガラス,木材といったさまざまな材質をほとんど間違えることなく見分けられるため,脳内では複雑な情報処理が行われていると一見予想されます.しかし実際は, 必要な情報が要約された手がかりを使って,単純な情報処理をしているだけの可能性があります. これは,私たちの脳の仕組みをもとにした質感再現技術への応用につながると期待されます」と筆頭著者である博士後期課程の田村秀希(日本学術振興会特別研究員,大学院博士課程教育リーディングプログラム)は説明します.
研究チームのリーダーである中内茂樹教授は「鏡やガラスは日常生活でよく見かけるありふれた材質ですが,質感認知の観点からすれば,それら自身には色もなく,周りの景色が歪んで映っているだけの不思議な存在です.一見,関係なさそうな動きの情報によって私たちは鏡らしさ,ガラスらしさを,そして世界の豊かな質感を楽しむことができるのです」と主張します.
本研究により,ヒトが材質を見分ける際に用いている効率的な手がかりの存在が示唆されました.これを応用することで,例えば動画中のすべての情報を使わずとも,要約された情報で物体の材質状態を推定あるいは表現可能であることを意味します.そのため,視知覚の仕組みに学んだ質感計測システムや,質感再現技術への応用が期待されます.
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本研究はJSPS科研費JP15H05922(新学術領域研究多元質感知),JP16J00273(日本学術振興会特別研究員奨励費)の助成を受けたものです.
<論文情報>
Tamura, H., Higashi, H., Nakauchi, S. (2018). Dynamic Visual Cues for Differentiating Mirror and Glass. Scientific Reports, 8, 8403. DOI:10.1038/s41598-018-26720-x (2018年5月30日発行)
Journal
Scientific Reports