東京医科歯科大学生体材料工学研究所有機生体材料学分野の由井伸彦教授と有坂慶紀助教は、免疫細胞の一つであるクッパー細胞※1の炎症応答を切り替える機能性細胞接着表面を設計しました。これまでに研究グループは多数の環状糖分子(珠)の空洞部に直鎖状の高分子鎖(中通し紐)が貫通した数珠のような構造をもった超分子であるポリロタキサン※2を活用した細胞接着材料を開発しており、この環状分子の動きやすさ(分子可動性)を調節することによって肝臓由来細胞や血管内皮細胞、間葉系幹細胞などの機能を調節できることを世界ではじめて明らかにしています。本研究では、このポリロタキサン表面の分子可動性の調節によってクッパー細胞の形や転写共役因子の活性、炎症性サイトカインの産生、極性が変化することを発見しました。ポリロタキサンを一成分としたバイオマテリアル※3の活用によって生体の免疫応答をコントロールすることが可能となれば、損傷した組織を再生するための足場としての応用展開が強く期待されます。この研究は文部科学省科学研究費補助金の支援のもとに行われたもので、その研究成果は国際科学誌Biomaterials Science(バイオマテリアルズ サイエンス)に2021年2月4日にオンライン版で発表されました。
【研究の背景】
細胞が接着可能なバイオマテリアルの硬さや凸凹などの材料特性は細胞の形を決める細胞骨格系タンパク質の形成に作用し、細胞の接着や移動、増殖、分化に関連する細胞内シグナル伝達経路の活性化に影響を与えることが知られています。このような知見をもとに、機械的もしくは物理的な特性を調節可能なバイオマテリアルを使った再生医療が検討され始めています。一方で研究グループは、超分子ポリロタキサンを活用した細胞操作を世界に先駆けて実証してきました。ポリロタキサンは直鎖状高分子(中通し紐)と環状分子(珠)とからなる数珠のような構造をした超分子集合体であり、その特徴として環状分子が直鎖状高分子鎖に沿って滑動したり回転したりする分子可動性が期待できます。これまでに研究グループは、環状分子であるα-シクロデキストリン※4と直鎖状高分子であるポリエチレングリコール※5とを組み合わせたポリロタキサンを用いて分子可動性をもった細胞接着基材の設計を行ってきました。この分子可動性が細胞内シグナル伝達経路の活性化に影響を与える材料パラメーターとなりうることを報告しており、すでに間葉系幹細胞の分化調節や肝臓由来細胞の機能維持、血管内皮細胞のネットワーク化などに成功しています。このような細胞機能のコントロールを体の中で再生医療に応用する場合、標的とする細胞や組織の機能を改善させるだけでなく、生体が本来もっている免疫システムを如何に調節するかということも重要になります。しかしながら、ポリロタキサンのような超分子を基本骨格としたバイオマテリアルにおいて、材料表面の分子可動性が免疫応答に与える影響についてほとんど明らかにされていませんでした。
【研究成果の概要】
本研究ではポリロタキサンを基盤としたバイオマテリアルが細胞性免疫に与える影響を評価するために、分子可動性の異なるポリロタキサン表面に接着したマクロファージ(クッパー細胞)の炎症応答について評価を行いました。特に炎症を惹起する物質の一つであるリポ多糖(LPS)※6の存在下におけるクッパー細胞の形態および炎症誘発性サイトカインの遺伝子発現を解析しました。分子可動性の高いポリロタキサン表面上のクッパー細胞は細胞質に多数の液胞や細胞伸展の抑制が観察されました。また炎症誘発性サイトカイン遺伝子であるインターロインキン6などの高い発現が認められました。クッパー細胞などのマクロファージを機能的に分類するとM1型(炎症促進性)とM2型(抗炎症性)に大別されますが、分子可動性の高い表面上のクッパー細胞はM1型の指標となる遺伝子マーカーの発現が亢進していることが明らかとなりました。対照的に、分子可動性の低いポリロタキサン表面上のクッパー細胞は細胞の伸展が促進され、M2型の指標となる遺伝子の発現が亢進しました。ポリロタキサン表面の分子可動性によるクッパー細胞の形態変化は研究グループがこれまでに報告してきた他の細胞種での傾向と同様であり、分子可動性によってクッパー細胞の接着形態を変えられることが示唆されました。また形態変化は転写共役因子(YAP、yes-associated protein)の遺伝子発現に影響を与えることが知られており、実際に分子可動性の低い表面において転写共役因子の高い遺伝子発現が認められました。このようなポリロタキサンの分子可動性は細胞形態や転写共役因子発現を変化させ、クッパー細胞のM1型/M2型分極に影響を与えたことが示されました。
【研究成果の意義】
体内においてバイオマテリアルは異物であり、生体免疫システムは炎症によってその異物を排除しようとします。炎症が長期間続く場合には、体内のバイオマテリアルは線維組織に覆われて生体から隔離されてしまうため、本来の目的を成し遂げることが困難になってしまいます。そもそも炎症反応は組織が損傷した後の感染防御や組織修復・再生に必須であるため、炎症の抑制によって組織の再生を阻害されてしまうことも懸念されます。そのため生体内で使用するバイオマテリアルにおいて、如何に生体内の免疫応答とのバランスをとるかが重要な課題の一つとなっています。そこで分子可動性を調節可能なポリロタキサン表面を使った免疫細胞のM1/M2分極制御が可能になれば、生体内において長期順応するバイオマテリアルの新たな設計に繋がります。将来的には、ポリロタキサン単独もくしは既存の医療機器との組み合わせによって、組織再生を支える足場としての応用展開が期待できます。
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【用語解説】
※1クッパー細胞 肝類洞腔に存在するマクロファージの一種です。異物や毒素、老廃物を取り込み、消化分解や再利用を行う。またサイトカインを産生し免疫反応を制御しています。
※2ポリロタキサン 直鎖状の軸高分子鎖が多数の環状分子の空洞部を貫通し、その両末端に嵩高い分子を結合することで軸上に環状分子が束縛された分子集合体です。従来の高分子は共有結合によって分子同士が連結した構造を有していますが、ポリロタキサンを構成する環状分子と軸高分子鎖は機械的に連結しているため、環状分子は軸高分子鎖に沿って可動する特徴があります。このような機械的に連結した超分子の設計は2016年ノーベル化学賞に選ばれましたが、分子可動性を活かしたバイオマテリアル研究では永年に亘って研究グループが世界をリードしています。
※3バイオマテリアル 医薬・医療の分野において生体やその構成要素と直接あるいは間接に接触させて、傷んだ組織や器官、あるいは機能の診断や治療を行い、さらにある場合に損傷部を補ったり、置き換えたりするために用いる材料をさします。
※4α-シクロデキストリン 6分子のD-グルコースが、α-1,4グリコシド結合によって結合し環状構造をとった環状オリゴ糖です。食品添加物として使用されています。
※5ポリエチレングリコール -(CH2-CH2-O)-を繰り返し単位とした合成高分子です。界面活性剤、潤滑剤、医薬製剤、化粧品などに利用されています。
※6リポ多糖 グラム陰性菌細胞壁外膜の構成成分であり、脂質及び多糖から構成される物質です。内毒素(エンドトキシン)であり、たとえばマクロファージの細胞膜表面に存在するToll様受容体に結合することによってマクロファージを活性化します。
Journal
Biomaterials Science