image: 暗い励起子の研究に使用される実験装置 view more
Credit: ジェフ・プライン(OIST)
沖縄科学技術大学院大学(OIST)のフェムト秒分光法ユニットの研究チームは、原子レベルに薄い材料において、これまで捉えることが難しかった「暗い励起子(れいきし)」の変化の過程を世界で初めて直接観測しました。科学誌『Nature Communications』に掲載されたこの成果は、古典情報技術と量子情報技術の両分野における新たなブレークスルーにつながる重要な一歩となりました。同ユニットを率いるケシャヴ・ダニ教授は、その重要性を次のように語っています。「暗い励起子は、光との相互作用が本質的に少ないため、量子特性の劣化が起こりにくく、情報伝達媒体として大きな可能性を秘めています。しかし、その『見えにくさ』ゆえに、研究や制御は非常に困難でした。こうした課題に挑む中で、2020年にOISTで達成した画期的な成果を契機に、暗い励起子の生成・観測・操作への道を切り拓いてきました。」
同ユニットに所属する博士課程学生で共著者のシン・ズー(朱兴)さんは次のように説明します。「一般的な電子工学分野では、電子の電荷を操作して情報を処理します。新たに開拓されているスピントロニクス分野では、電子のスピンを利用して情報を伝達します。それに続く第三の分野といわれるバレートロニクスでは、特殊な材料の結晶構造により、電子の運動量空間における異なる谷(バレー)の状態に情報を符号化することが可能となります。」暗い励起子は、谷(バレー)の自由度を利用して情報を伝達できる特性を持つことから、量子技術における有望な候補と位置づけられています。また、暗い励起子は本質的に、現行の量子ビットよりも熱などの外的な環境要因に対する耐性が高く、極端な冷却が不要なため、量子の状態が崩れる「デコヒーレンス」の発生も少ない可能性があります。
明るい励起子と暗い励起子のエネルギーの関係性を明確にする
過去 10 年間で、原子レベルの薄さの半導体材料の一つ、TMD(遷移金属ダイカルコゲナイド)の基礎研究が大きく進展してきました。他の半導体と同様、TMD の原子は、結晶格子状に規則正しく並んでおり、この構造によって、電子は価電子帯などの特定のエネルギー準位(またはバンド)に閉じ込められています。光を照射すると、負(マイナス)の電荷をもつ電子はより高いエネルギー状態である伝導帯へ励起(れいき)されます。それに伴い,価電子帯に生成される電子の「空席」が,あたかも正(プラス)の電荷を持つ「正孔(ホール)」として振る舞います。電子と正孔は静電引力によって結びつき、水素に似た準粒子「励起子」を形成します。電子と正孔の特定の量子特性(お互いのスピンの向きや運動量など)が一致し、かつその運動量に位置する谷(バレー)において電子が伝導帯のエネルギーの最小点、正孔が価電子帯の最高点に位置する場合、電子と正孔はピコ秒(1ps = 10-12秒)以内に再結合します。この再結合過程で光を放出する励起子は、「明るい励起子」と呼ばれます。
一方で、電子と正孔の量子特性が一致しない場合、電子と正孔は自発的に再結合することができず、光を放出しません。これらは「暗い励起子」として知られています。元OISTポスドク研究員で、現在はユニバーシティ・カレッジ・ロンドンに所属する共同筆頭著者のデイヴィッド・ベーコン博士は次のように説明します。「暗い励起子には、電子と正孔の性質がどこで不一致を起こすかに応じて、二つの種類が挙げられます。一つ目は,それぞれの運動量が不一致のために生じる『運動量禁制』の暗い励起子。二つ目は,スピンの向きが不一致のために生じる『スピン禁制』の暗い励起子です。このような電子と正孔の性質の不一致は、励起子の速やかな再結合を妨げます。したがって,暗い励起子は,最大で数ナノ秒(1ナノ秒=1秒の10億分の1〔10-9秒〕)という、より実用的な時間スケールで存在できるようになり、さらに周囲の環境との相互作用から隔離されます。」
「TMDの特異的な原子配列の空間反転対称性により、円偏光を照射すると、明るい励起子を特定の谷(バレー)だけに選択的に生成できます。これがバレートロニクスの基本原理です。しかしながら、明るい励起子は急速に多数の暗い励起子へと変化し、これらが潜在的に谷(バレー)の情報を保持する可能性があります。どの種類の暗い励起子が関与し、どの程度まで谷(バレー)の情報を保持できるかは不明ですが、これはバレートロニクス応用を追究する上で重要な一歩となります」と、共同筆頭著者でありOIST卒業生、現在はカリフォルニア工科大学のPresidential Postdoctoral Fellowを務めるビベック・パリック博士は説明しています。
フェムト秒スケールで電子を観測する
OISTが保有する世界最高水準のTR-ARPES(時間・角度分解光電子分光法)装置(独自開発の卓上型XUV〔極端紫外線〕光源を含む)を用い、 TMD半導体において、電子の運動量空間における特定の谷(バレー)で明るい励起子が生成された後、電子と正孔の運動量、スピン状態、占有レベルを同時に定量化することで、すべての励起子の特性を時間経過とともに追跡することに成功しました。これらの特性を同時に定量化したのは今回が初めてです。
研究チームの発見によれば、1ピコ秒以内に、一部の明るい励起子がフォノン(量子化された結晶の格子振動)によって異なる運動量空間上の谷(バレー)へと散乱され、運動量禁制の暗い励起子に遷移します。その後、同じ谷(バレー)において電子のスピンが反転したスピン禁制の暗い励起子が優勢となり、ナノ秒スケールで持続することが確認されました。
この成果により、研究チームは暗い励起子の生成や追跡というこれまでの根本的な課題を克服し、「ダーク(暗い)バレートロニクス」という新たな研究分野の基盤を築くことができました。同ユニットのジュリアン・マデオ博士は次のように要約します。「OISTの高度なTR-ARPES装置のおかげで、どの暗い励起子が長寿命の谷(バレー)情報を保持するかを直接観測・マッピングすることができました。今後、暗い励起子の谷(バレー)特性を読み出す技術が進展すれば、情報システム全体に広く応用可能な『ダークバレートロニクス』の展開が期待されます。」
Journal
Nature Communications
Method of Research
Imaging analysis
Subject of Research
Not applicable
Article Title
A holistic view of the dynamics of long-lived valley polarized dark excitonic states in monolayer WS2
Article Publication Date
10-Jul-2025
COI Statement
J.M., M.K.L.M. and K.M.D. are inventors on a granted patent related to this work filed by the Okinawa Institute of Science and Technology School Corporation (US patent 11,372,199). The authors declare no other competing interests.